幕末の懐徳堂(「旧懐徳堂平面図」)
 
 

 懐徳堂で代々学主を務めた中井家の子孫・中井木菟麻呂(なかいつぐまろ)が幼時の記憶を基に記した「旧懐徳堂平面図」(『懐徳』第9号、1931年)。安政年間(1854〜1859)から閉校(1869)に至る時期の懐徳堂を描いたもの。「寛政再建着工時における懐徳堂」に見えていた「池」が埋められ、書庫蔵が増設されているなどの部分的な増改築はあったようであるが、講堂など他の主要な構造物はそのままで、寛政八年(1796)に竣工した懐徳堂が、基本的には幕末までその姿を保持したことが分かる。
  なお、この幕末の懐徳堂については、木菟麻呂の妹・中井終子が「安政以後の大阪学校」(『懐徳』第9号、1931年)として、その構造を詳細に説明している。

 
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