寛政年間再建着工図の最終図面。中井竹山により「寛政七年乙卯(1795)七月六 官命を受候 学校再建同八月十日釿始」と記載されている。南の正門を入って左手(南西)に「庭」、「講堂」は第七面の寛政五年(1793)再建設計図と同じく十五畳。学舎北西の隅に、東向きの「祠堂」、中央右側(西)には「池」が見える。この池は、その後、埋められ、書庫蔵が増設された。但し、基本的には、寛政八年(1796)に竣工したこの懐徳堂学舎は、明治二年(1869)の閉校まで大きく変更されることはなかった。