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水哉館すいさいかん
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履道坦々幽人貞吉りどうたんたんゆうじんていきつ
『周易』の語にちなむ語。『周易』「履」卦の九二の爻辞に、「履道坦坦、幽人貞吉(道を履むこと坦坦たり。幽人貞にして吉)」とあり、その象伝に「幽人貞吉、中不自亂也(幽人貞吉とは、中自から乱れざるなり)」と説く。正しい道を坦々と履んで野に隠れている人であれば、その心中が穏やかで欲によって乱されることがないから、正しくて吉であるという意味。中井履軒の号の出拠となったもので、私塾の名に使った「水哉」にも通ずる履軒の人生観を反映した語である。なお、履軒は後年、「履道坦坦幽人貞吉」の八字を彫り込んだ印章をいくつも作った。
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幽人之貞ゆうじんのてい
「幽人」は『周易』に因む中井履軒の号。正しい道を踏んで野に隠れている人をいう。「履道坦々幽人貞吉」印参照。
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履軒りけん
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幽人貞吉ゆうじんていきつ
「幽人」は『周易』に因む中井履軒の号。正しい道を踏んで野に隠れている人をいう。「履道坦々幽人貞吉」印参照。
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幽人之貞ゆうじんのてい
「幽人」は『周易』に因む中井履軒の号。正しい道を踏んで野に隠れている人をいう。「履道坦々幽人貞吉」印参照。
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積徳之印,幽人之貞せきとくのいん,ゆうじんのてい
「積徳」は履軒の名。
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履道坦々 幽人貞吉,履道坦々 幽人貞吉りどうたんたん ゆうじんていきつ,りどうたんたん ゆうじんていきつ
『周易』の語にちなむ語。『周易』「履」卦の九二の爻辞に、「履道坦坦、幽人貞吉(道を履むこと坦坦たり。幽人貞にして吉)」とあり、その象伝に「幽人貞吉、中不自亂也(幽人貞吉とは、中自から乱れざるなり)」と説く。正しい道を坦々と履んで野に隠れている人であれば、その心中が穏やかで欲によって乱されることがないから、正しくて吉であるという意味。中井履軒の号の出拠となったもので、私塾の名に使った「水哉」にも通ずる履軒の人生観を反映した語である。上が陰刻、下が陽刻の連印かつ両面印である。
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水哉,幽 人すいさい,ゆう じん
「水哉」は、履軒の私塾「水哉館」にちなむ。履軒は三十代半ばに懐徳堂から独立して私塾水哉館を営み、膨大かつ精緻な古典研究を推進した。「水哉」と「幽人」との両面印。「幽」「人」は連印でもある。「水哉」の語は『孟子』離婁篇下、および『荘子』刻意篇に見える。
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葛印天民,天懐氏かついんてんみん,てんかいし
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幽人 處之,水哉ゆうじん しょし,すいさい
「幽人」は『周易』に因む中井履軒の号。正しい道を踏んで野に隠れている人をいう。「水哉」は履軒の私塾「水哉館」にちなむ。履軒は三十代半ばに懐徳堂から独立して私塾水哉館を営み、膨大かつ精緻な古典研究を推進した。「水哉」の語は『孟子』離婁篇下、および『荘子』刻意篇に見える。
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幽人ゆうじん
陶印である。「幽人」は『周易』に因む中井履軒の号。正しい道を踏んで野に隠れている人をいう。「履道坦々幽人貞吉」印参照。
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幽人ゆうじん
竹印である。「幽人」は『周易』に因む中井履軒の号。正しい道を踏んで野に隠れている人をいう。「履道坦々幽人貞吉」印参照。
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幽 人ゆう じん
木製の連印である。「幽人」は『周易』に因む中井履軒の号。正しい道を踏んで野に隠れている人をいう。「履道坦々幽人貞吉」印参照。
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水哉すいさい
「水哉」は、履軒の私塾「水哉館」にちなむ。履軒は三十代半ばに懐徳堂から独立して私塾水哉館を営み、膨大かつ精緻な古典研究を推進した。「水哉」の語は『孟子』離婁篇下、および『荘子』刻意篇に見える。珍しい図案郭の木印である。
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水哉すいさい
「水哉」は、履軒の私塾「水哉館」にちなむ。履軒は三十代半ばに懐徳堂から独立して私塾水哉館を営み、膨大かつ精緻な古典研究を推進した。「水哉」の語は『孟子』離婁篇下、および『荘子』刻意篇に見える。磁印である。
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水哉すいさい
「水哉」は、履軒の私塾「水哉館」にちなむ。履軒は三十代半ばに懐徳堂から独立して私塾水哉館を営み、膨大かつ精緻な古典研究を推進した。「水哉」の語は『孟子』離婁篇下、および『荘子』刻意篇に見える。
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水 哉すい さい
「水」と「哉」の陶製の連印である。「水哉」は、履軒の私塾「水哉館」にちなむ。履軒は三十代半ばに懐徳堂から独立して私塾水哉館を営み、膨大かつ精緻な古典研究を推進した。「水哉」の語は『孟子』離婁篇下、および『荘子』刻意篇に見える。
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水哉,水哉すいさい,すいさい
「水哉」を両面に刻んだ両面印である。「水哉」は、履軒の私塾「水哉館」にちなむ。履軒は三十代半ばに懐徳堂から独立して私塾水哉館を営み、膨大かつ精緻な古典研究を推進した。「水哉」の語は『孟子』離婁篇下、および『荘子』刻意篇に見える。
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水哉すいさい
懐徳堂印の中では唯一のガラス製である。しかも、紐の部分は、水の流れを髣髴とさせる流線的な装飾がほどこされている。紐の頭頂部から印面部に向かって、水が螺旋状に流れ落ちているかのようである。印文も、楕円形の単郭の中に、円転の陽刻の文字が刻まれている。うねるような「水」の文字が印象的である。また、大江文城の『懐徳堂印存』七冊本の注記によれば、この印は「瓶栓」をかたどっているという。「水哉」は、履軒の私塾「水哉館」にちなむ。履軒は三十代半ばに懐徳堂から独立して私塾水哉館を営み、膨大かつ精緻な古典研究を推進した。「水哉」の語は『孟子』離婁篇下、および『荘子』刻意篇に見える。
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水哉すいさい
「水哉」は、履軒の私塾「水哉館」にちなむ。履軒は三十代半ばに懐徳堂から独立して私塾水哉館を営み、膨大かつ精緻な古典研究を推進した。「水哉」の語は『孟子』離婁篇下、および『荘子』刻意篇に見える。
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積徳之印,處せきとくのいん,しょ
「積徳之印」「處」の子母印。子母印とは、一つの印の中に、母(大)子(小)二つに分離した印が入れ子になっているものをいう。ここでは、紐に、正体不明の四つ足の動物がかたどられ、その母印は陽刻の「處」である。處は処の旧字体で、履軒の字の処叔に由来する。ところが、この印は入れ子になっていて、その中にもう一つの子印を含む。その印が陰刻の「積徳之印」である。造形という点でも、興味をひかれる印である。
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處しょ
處は処の旧字体で、履軒の字の処叔に由来する。
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處しょ
印文は、履軒の字「処叔」に由来している。見逃せないのは、紐が象をかたどっている点である。懐徳堂には、この他にも、象紐の印が散見されるが、これは、当時、長崎に象が輸入され、世間の注目を浴びていたことによると思われる。
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履道坦々りどうたんたん
「履」の字を大きく刻んだ竹製陰刻の印である。印文は『周易』の語にちなむ。『周易』「履」卦の九二の爻辞に、「履道坦坦、幽人貞吉(道を履むこと坦坦たり。幽人貞にして吉)」とあり、その象伝に「幽人貞吉、中不自亂也(幽人貞吉とは、中自から乱れざるなり)」と説く。正しい道を坦々と履んで野に隠れている人であれば、その心中が穏やかで欲によって乱されることがないから、正しくて吉であるという意味。中井履軒の号の出拠となったものである。
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幽人貞吉ゆうじんていきつ
陰刻の銅印である。印文は『周易』の語にちなむ。『周易』「履」卦の九二の爻辞に、「履道坦坦、幽人貞吉(道を履むこと坦坦たり。幽人貞にして吉)」とあり、その象伝に「幽人貞吉、中不自亂也(幽人貞吉とは、中自から乱れざるなり)」と説く。正しい道を坦々と履んで野に隠れている人であれば、その心中が穏やかで欲によって乱されることがないから、正しくて吉であるという意味。中井履軒の号の出拠となったものである。
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處 幽人之貞しょ ゆうじんのてい
「処」と「幽人之貞」との連印。「処」は履軒の字「処叔」に由来している。「幽人」は『周易』に因む中井履軒の号。正しい道を踏んで野に隠れている人をいう。
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履軒幽人,完りけんゆうじん,かん
「履軒幽人」と「完」との両面印。
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天樂,幽 人てんらく,ゆう じん
「天樂」は、履軒の私塾の二階の一室の名。履軒は、安永8年(1779)に再婚した後、借家の二階の一室を「天楽楼」と名づけた。これは、『荘子』天道篇の「人と和する者は、之を人楽と謂い、天と和する者は、之を天楽と謂う」(與人和者、謂之人樂、與天和者、謂之天樂)にちなむ。この印は陽刻で瓢箪型をした珍しい印であるが、さらに興味深いのは、「幽」「人」という陰刻の連印(38)と両面印を形成している点である。「天楽」と「幽人」とは共通する心境の表裏なのであろう。
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履軒圖書りけんとしょ
篆刻者は、尾張藩大坂屋敷の役人で篆刻に長じていた中西石樵である。
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酔郷侯印すいきょうこういん
世俗を超越した履軒の心境を物語っている。「酔」という字は酒を連想させるが、西村天囚『懐徳堂考』によれば、履軒は大いに酒を嗜んだようである。机のまわりには備前徳利が置かれていて、書を読み興がわいてくると酒を飲んだという。また、入門してきた書生には、まず酒を飲む稽古をせよ。勉強ばかりしていると気が詰まって病気になるぞ、と説いたという。
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酔郷侯印すいきょうこういん
世俗を超越した履軒の心境を物語っている。「酔」という字は酒を連想させるが、西村天囚『懐徳堂考』によれば、履軒は大いに酒を嗜んだようである。机のまわりには備前徳利が置かれていて、書を読み興がわいてくると酒を飲んだという。また、入門してきた書生には、まず酒を飲む稽古をせよ。勉強ばかりしていると気が詰まって病気になるぞ、と説いたという。
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酔郷侯印すいきょうこういん
世俗を超越した履軒の心境を物語っている。「酔」という字は酒を連想させるが、西村天囚『懐徳堂考』によれば、履軒は大いに酒を嗜んだようである。机のまわりには備前徳利が置かれていて、書を読み興がわいてくると酒を飲んだという。また、入門してきた書生には、まず酒を飲む稽古をせよ。勉強ばかりしていると気が詰まって病気になるぞ、と説いたという。
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尚徳積載,既雨既處しょうとくせきさい,きうきしょ
『周易』小畜の卦に「既に雨ふり既に処る。徳を尚びて載つ」(既雨既處、尚載)とある。すでに雨が降り陰陽の気が安らかな状態にあることを表す象で、陰の徳が積み重ねられ満つることを説く。篆刻者は、尾張藩大坂屋敷の役人で篆刻に長じていた中西石樵である。
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南柯守印なんかしゅいん
南柯の夢の故事に基づく語。唐の淳于■が酒に酔って槐の木の下で眠りについた。夢の中で槐安国に行き南柯太守となって栄華を極めたが、夢から覚めてみると、そばには蟻の穴があるばかりであった。唐の李公佐の小説「南柯記」(南柯太守伝)に見える話である。履軒は精力的な経学研究を続ける一方で、この俗世の虚しさを達観していたのであろうか。
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白衣御史はくいぎょし
「白衣」は無位無冠の意、あるいは無位無冠でありながら実質的には「御史」と変わらぬような立派な人の意である。「御史」とは、もともと古代中国周代の天子の秘書官を意味していたが、秦漢時代には、今の警察庁のような役所の意味となり、その長官を「御史大夫」と呼んだ。履軒は、豊かな学識を持ちながらも無位無冠であることを、むしろ誇りに思っていたのである。
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水哉,與古爲徒すいさい,いにしえとともがらをなす
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徳公,徳公とくこう,とくこう
「徳公」は中井履軒の通称「徳二」、名「積徳」にちなむ。
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徳とく
「徳」は中井履軒の通称「徳二」、名「積徳」にちなむ。
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恨古人不見我こじんをうらみてわれをみず
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天樂てんらく
「天樂」は、履軒の私塾の二階の一室の名。履軒は、安永8年(1779)に再婚した後、借家の二階の一室を「天楽楼」と名づけた。これは、『荘子』天道篇の「人と和する者は、之を人楽と謂い、天と和する者は、之を天楽と謂う」(與人和者、謂之人樂、與天和者、謂之天樂)にちなむ。
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不可登雲くもにのぼるべからず
「登雲」は登仙の意。または志が壮大なこと。「■月登雲」の語あり。
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處父,四天王寺古瓦しょほ,してんのうじこがわら
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叔,完しょ,かん
「処」「完」の両面印。處は処の旧字体で、履軒の字の処叔に由来する。
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華胥國王之璽かしょこくほうのじ
「華胥国」は中井履軒が自らの私塾に名づけた理想の国。安永九年(一七八〇)、南本町一丁目に転居した履軒は、その住居に華胥国門(かしょこくもん)の扁額(へんがく)を掲げ、自らを華胥国王に擬した。「華胥国」とは、中国の伝説的な皇帝であった黄帝(こうてい)が夢の中で遊んだという理想国で、そこでは身分の上下がなく、民には愛憎の心がなく、利害の対立もなく、自然のままであったという(『列子』黄帝篇)。なお、その後、履軒は相次いで「華胥国」を冠した書を執筆する。経世については、「華胥国物語」、天文学では「華胥国暦」、歌文では「華胥国囈語」「華胥国歌合」などである。
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蝶,戲ちょう,ぎ
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隱居放言いんきょほうげん
自らの姿を、やや諧謔的に記したもの。西村天囚の『懐徳堂考』に、「履軒嘗て人に謂て曰く、聖人の徳企て及ぶべからず。若し夫れ隠居放言して、身は清に中り、廃しては権に中るは、吾儕の地位なり」と記されている。聖人の徳には及ばないが、隠居放言して、清廉潔白な身を保ち、引退してからも正しい道を歩む人は、私のともがらであるというのである。超然として自由な立場で放言する自分を、履軒は冷静に見つめていたのである。
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全交舎ぜんこうしゃ
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既雨既處尚徳積載きうきしょしょうとくせきさい
『周易』小畜の卦に「既に雨ふり既に処る。徳を尚びて載つ」(既雨既處、尚載)とある。すでに雨が降り陰陽の気が安らかな状態にあることを表す象で、陰の徳が積み重ねられ満つることを説く。
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古之遺狂いにしえのいきょう
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我思古人われこじんをおもう
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君子萬年君子萬年
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漢委奴國王かんのわのなのこくおう
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