• 1

    • 3
    • 2

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    • 4

    水哉館すいさいかん

    • 7
    • 6

    履道坦々幽人貞吉りどうたんたんゆうじんていきつ

    『周易』の語にちなむ語。『周易』「履」卦の九二の爻辞に、「履道坦坦、幽人貞吉(道を履むこと坦坦たり。幽人貞にして吉)」とあり、その象伝に「幽人貞吉、中不自亂也(幽人貞吉とは、中自から乱れざるなり)」と説く。正しい道を坦々と履んで野に隠れている人であれば、その心中が穏やかで欲によって乱されることがないから、正しくて吉であるという意味。中井履軒の号の出拠となったもので、私塾の名に使った「水哉」にも通ずる履軒の人生観を反映した語である。なお、履軒は後年、「履道坦坦幽人貞吉」の八字を彫り込んだ印章をいくつも作った。

    • 9
    • 8

    幽人之貞ゆうじんのてい

    「幽人」は『周易』に因む中井履軒の号。正しい道を踏んで野に隠れている人をいう。「履道坦々幽人貞吉」印参照

    • 11
    • 10

    履軒りけん

    • 13
    • 12

    幽人貞吉ゆうじんていきつ

    「幽人」は『周易』に因む中井履軒の号。正しい道を踏んで野に隠れている人をいう。「履道坦々幽人貞吉」印参照

    • 15
    • 14

    幽人之貞ゆうじんのてい

    「幽人」は『周易』に因む中井履軒の号。正しい道を踏んで野に隠れている人をいう。「履道坦々幽人貞吉」印参照

    • 17
    • 16

    積徳之印,幽人之貞せきとくのいん,ゆうじんのてい

    「積徳」は履軒の名。

    • 19
    • 18

    履道坦々 幽人貞吉,履道坦々 幽人貞吉りどうたんたん ゆうじんていきつ,りどうたんたん ゆうじんていきつ

    『周易』の語にちなむ語。『周易』「履」卦の九二の爻辞に、「履道坦坦、幽人貞吉(道を履むこと坦坦たり。幽人貞にして吉)」とあり、その象伝に「幽人貞吉、中不自亂也(幽人貞吉とは、中自から乱れざるなり)」と説く。正しい道を坦々と履んで野に隠れている人であれば、その心中が穏やかで欲によって乱されることがないから、正しくて吉であるという意味。中井履軒の号の出拠となったもので、私塾の名に使った「水哉」にも通ずる履軒の人生観を反映した語である。上が陰刻、下が陽刻の連印かつ両面印である。

    • 21
    • 20

    水哉,幽 人すいさい,ゆう じん

    「水哉」は、履軒の私塾「水哉館」にちなむ。履軒は三十代半ばに懐徳堂から独立して私塾水哉館を営み、膨大かつ精緻な古典研究を推進した。「水哉」と「幽人」との両面印。「幽」「人」は連印でもある。「水哉」の語は『孟子』離婁篇下、および『荘子』刻意篇に見える。

    • 23
    • 22

    葛印天民,天懐氏かついんてんみん,てんかいし

    • 25
    • 24

    幽人 處之,水哉ゆうじん しょし,すいさい

    「幽人」は『周易』に因む中井履軒の号。正しい道を踏んで野に隠れている人をいう。「水哉」は履軒の私塾「水哉館」にちなむ。履軒は三十代半ばに懐徳堂から独立して私塾水哉館を営み、膨大かつ精緻な古典研究を推進した。「水哉」の語は『孟子』離婁篇下、および『荘子』刻意篇に見える。

    • 27
    • 26

    幽人ゆうじん

    陶印である。「幽人」は『周易』に因む中井履軒の号。正しい道を踏んで野に隠れている人をいう。「履道坦々幽人貞吉」印参照

    • 29
    • 28

    幽人ゆうじん

    竹印である。「幽人」は『周易』に因む中井履軒の号。正しい道を踏んで野に隠れている人をいう。「履道坦々幽人貞吉」印参照

    • 31
    • 30

    幽 人ゆう じん

    木製の連印である。「幽人」は『周易』に因む中井履軒の号。正しい道を踏んで野に隠れている人をいう。「履道坦々幽人貞吉」印参照

    • 33
    • 32

    水哉すいさい

    「水哉」は、履軒の私塾「水哉館」にちなむ。履軒は三十代半ばに懐徳堂から独立して私塾水哉館を営み、膨大かつ精緻な古典研究を推進した。「水哉」の語は『孟子』離婁篇下、および『荘子』刻意篇に見える。珍しい図案郭の木印である。

    • 35
    • 34

    水哉すいさい

    「水哉」は、履軒の私塾「水哉館」にちなむ。履軒は三十代半ばに懐徳堂から独立して私塾水哉館を営み、膨大かつ精緻な古典研究を推進した。「水哉」の語は『孟子』離婁篇下、および『荘子』刻意篇に見える。磁印である。

    • 37
    • 36

    水哉すいさい

    「水哉」は、履軒の私塾「水哉館」にちなむ。履軒は三十代半ばに懐徳堂から独立して私塾水哉館を営み、膨大かつ精緻な古典研究を推進した。「水哉」の語は『孟子』離婁篇下、および『荘子』刻意篇に見える。

    • 39
    • 38

    水 哉すい さい

    「水」と「哉」の陶製の連印である。「水哉」は、履軒の私塾「水哉館」にちなむ。履軒は三十代半ばに懐徳堂から独立して私塾水哉館を営み、膨大かつ精緻な古典研究を推進した。「水哉」の語は『孟子』離婁篇下、および『荘子』刻意篇に見える。

    • 41
    • 40

    水哉,水哉すいさい,すいさい

    「水哉」を両面に刻んだ両面印である。「水哉」は、履軒の私塾「水哉館」にちなむ。履軒は三十代半ばに懐徳堂から独立して私塾水哉館を営み、膨大かつ精緻な古典研究を推進した。「水哉」の語は『孟子』離婁篇下、および『荘子』刻意篇に見える。

    • 43
    • 42

    水哉すいさい

    懐徳堂印の中では唯一のガラス製である。しかも、紐の部分は、水の流れを髣髴とさせる流線的な装飾がほどこされている。紐の頭頂部から印面部に向かって、水が螺旋状に流れ落ちているかのようである。印文も、楕円形の単郭の中に、円転の陽刻の文字が刻まれている。うねるような「水」の文字が印象的である。また、大江文城の『懐徳堂印存』七冊本の注記によれば、この印は「瓶栓」をかたどっているという。「水哉」は、履軒の私塾「水哉館」にちなむ。履軒は三十代半ばに懐徳堂から独立して私塾水哉館を営み、膨大かつ精緻な古典研究を推進した。「水哉」の語は『孟子』離婁篇下、および『荘子』刻意篇に見える。

    • 45
    • 44

    水哉すいさい

    「水哉」は、履軒の私塾「水哉館」にちなむ。履軒は三十代半ばに懐徳堂から独立して私塾水哉館を営み、膨大かつ精緻な古典研究を推進した。「水哉」の語は『孟子』離婁篇下、および『荘子』刻意篇に見える。

    • 47
    • 46

    積徳之印,處せきとくのいん,しょ

    「積徳之印」「處」の子母印。子母印とは、一つの印の中に、母(大)子(小)二つに分離した印が入れ子になっているものをいう。ここでは、紐に、正体不明の四つ足の動物がかたどられ、その母印は陽刻の「處」である。處は処の旧字体で、履軒の字の処叔に由来する。ところが、この印は入れ子になっていて、その中にもう一つの子印を含む。その印が陰刻の「積徳之印」である。造形という点でも、興味をひかれる印である。

    • 49
    • 48

    しょ

    處は処の旧字体で、履軒の字の処叔に由来する。

    • 51
    • 50

    しょ

    印文は、履軒の字「処叔」に由来している。見逃せないのは、紐が象をかたどっている点である。懐徳堂には、この他にも、象紐の印が散見されるが、これは、当時、長崎に象が輸入され、世間の注目を浴びていたことによると思われる。

    • 53
    • 52

    履道坦々りどうたんたん

    「履」の字を大きく刻んだ竹製陰刻の印である。印文は『周易』の語にちなむ。『周易』「履」卦の九二の爻辞に、「履道坦坦、幽人貞吉(道を履むこと坦坦たり。幽人貞にして吉)」とあり、その象伝に「幽人貞吉、中不自亂也(幽人貞吉とは、中自から乱れざるなり)」と説く。正しい道を坦々と履んで野に隠れている人であれば、その心中が穏やかで欲によって乱されることがないから、正しくて吉であるという意味。中井履軒の号の出拠となったものである。

    • 55
    • 54

    幽人貞吉ゆうじんていきつ

    陰刻の銅印である。印文は『周易』の語にちなむ。『周易』「履」卦の九二の爻辞に、「履道坦坦、幽人貞吉(道を履むこと坦坦たり。幽人貞にして吉)」とあり、その象伝に「幽人貞吉、中不自亂也(幽人貞吉とは、中自から乱れざるなり)」と説く。正しい道を坦々と履んで野に隠れている人であれば、その心中が穏やかで欲によって乱されることがないから、正しくて吉であるという意味。中井履軒の号の出拠となったものである。

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    • 56

    處 幽人之貞しょ ゆうじんのてい

    「処」と「幽人之貞」との連印。「処」は履軒の字「処叔」に由来している。「幽人」は『周易』に因む中井履軒の号。正しい道を踏んで野に隠れている人をいう。

    • 59
    • 58

    履軒幽人,完りけんゆうじん,かん

    「履軒幽人」と「完」との両面印。

    • 61
    • 60

    天樂,幽 人てんらく,ゆう じん

    「天樂」は、履軒の私塾の二階の一室の名。履軒は、安永8年(1779)に再婚した後、借家の二階の一室を「天楽楼」と名づけた。これは、『荘子』天道篇の「人と和する者は、之を人楽と謂い、天と和する者は、之を天楽と謂う」(與人和者、謂之人樂、與天和者、謂之天樂)にちなむ。この印は陽刻で瓢箪型をした珍しい印であるが、さらに興味深いのは、「幽」「人」という陰刻の連印(38)と両面印を形成している点である。「天楽」と「幽人」とは共通する心境の表裏なのであろう。

    • 63
    • 62

    履軒圖書りけんとしょ

    篆刻者は、尾張藩大坂屋敷の役人で篆刻に長じていた中西石樵である。

    • 65
    • 64

    酔郷侯印すいきょうこういん

    世俗を超越した履軒の心境を物語っている。「酔」という字は酒を連想させるが、西村天囚『懐徳堂考』によれば、履軒は大いに酒を嗜んだようである。机のまわりには備前徳利が置かれていて、書を読み興がわいてくると酒を飲んだという。また、入門してきた書生には、まず酒を飲む稽古をせよ。勉強ばかりしていると気が詰まって病気になるぞ、と説いたという。

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    • 66

    酔郷侯印すいきょうこういん

    世俗を超越した履軒の心境を物語っている。「酔」という字は酒を連想させるが、西村天囚『懐徳堂考』によれば、履軒は大いに酒を嗜んだようである。机のまわりには備前徳利が置かれていて、書を読み興がわいてくると酒を飲んだという。また、入門してきた書生には、まず酒を飲む稽古をせよ。勉強ばかりしていると気が詰まって病気になるぞ、と説いたという。

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    酔郷侯印すいきょうこういん

    世俗を超越した履軒の心境を物語っている。「酔」という字は酒を連想させるが、西村天囚『懐徳堂考』によれば、履軒は大いに酒を嗜んだようである。机のまわりには備前徳利が置かれていて、書を読み興がわいてくると酒を飲んだという。また、入門してきた書生には、まず酒を飲む稽古をせよ。勉強ばかりしていると気が詰まって病気になるぞ、と説いたという。

    • 71
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    尚徳積載,既雨既處しょうとくせきさい,きうきしょ

    『周易』小畜の卦に「既に雨ふり既に処る。徳を尚びて載つ」(既雨既處、尚載)とある。すでに雨が降り陰陽の気が安らかな状態にあることを表す象で、陰の徳が積み重ねられ満つることを説く。篆刻者は、尾張藩大坂屋敷の役人で篆刻に長じていた中西石樵である。

    • 73
    • 72

    南柯守印なんかしゅいん

    南柯の夢の故事に基づく語。唐の淳于■が酒に酔って槐の木の下で眠りについた。夢の中で槐安国に行き南柯太守となって栄華を極めたが、夢から覚めてみると、そばには蟻の穴があるばかりであった。唐の李公佐の小説「南柯記」(南柯太守伝)に見える話である。履軒は精力的な経学研究を続ける一方で、この俗世の虚しさを達観していたのであろうか。

    • 75
    • 74

    白衣御史はくいぎょし

    「白衣」は無位無冠の意、あるいは無位無冠でありながら実質的には「御史」と変わらぬような立派な人の意である。「御史」とは、もともと古代中国周代の天子の秘書官を意味していたが、秦漢時代には、今の警察庁のような役所の意味となり、その長官を「御史大夫」と呼んだ。履軒は、豊かな学識を持ちながらも無位無冠であることを、むしろ誇りに思っていたのである。

    • 77
    • 76

    水哉,與古爲徒すいさい,いにしえとともがらをなす

    • 79
    • 78

    徳公,徳公とくこう,とくこう

    「徳公」は中井履軒の通称「徳二」、名「積徳」にちなむ。

    • 81
    • 80

    とく

    「徳」は中井履軒の通称「徳二」、名「積徳」にちなむ。

    • 83
    • 82

    恨古人不見我こじんをうらみてわれをみず

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    天樂てんらく

    「天樂」は、履軒の私塾の二階の一室の名。履軒は、安永8年(1779)に再婚した後、借家の二階の一室を「天楽楼」と名づけた。これは、『荘子』天道篇の「人と和する者は、之を人楽と謂い、天と和する者は、之を天楽と謂う」(與人和者、謂之人樂、與天和者、謂之天樂)にちなむ。

    • 87
    • 86

    不可登雲くもにのぼるべからず

    「登雲」は登仙の意。または志が壮大なこと。「■月登雲」の語あり。

    • 89
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    處父,四天王寺古瓦しょほ,してんのうじこがわら

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    • 90

    叔,完しょ,かん

    「処」「完」の両面印。處は処の旧字体で、履軒の字の処叔に由来する。

    • 93
    • 92

    華胥國王之璽かしょこくほうのじ

    「華胥国」は中井履軒が自らの私塾に名づけた理想の国。安永九年(一七八〇)、南本町一丁目に転居した履軒は、その住居に華胥国門(かしょこくもん)の扁額(へんがく)を掲げ、自らを華胥国王に擬した。「華胥国」とは、中国の伝説的な皇帝であった黄帝(こうてい)が夢の中で遊んだという理想国で、そこでは身分の上下がなく、民には愛憎の心がなく、利害の対立もなく、自然のままであったという(『列子』黄帝篇)。なお、その後、履軒は相次いで「華胥国」を冠した書を執筆する。経世については、「華胥国物語」、天文学では「華胥国暦」、歌文では「華胥国囈語」「華胥国歌合」などである。

    • 95
    • 94

    蝶,戲ちょう,ぎ

    • 97
    • 96

    隱居放言いんきょほうげん

    自らの姿を、やや諧謔的に記したもの。西村天囚の『懐徳堂考』に、「履軒嘗て人に謂て曰く、聖人の徳企て及ぶべからず。若し夫れ隠居放言して、身は清に中り、廃しては権に中るは、吾儕の地位なり」と記されている。聖人の徳には及ばないが、隠居放言して、清廉潔白な身を保ち、引退してからも正しい道を歩む人は、私のともがらであるというのである。超然として自由な立場で放言する自分を、履軒は冷静に見つめていたのである。

    • 99
    • 98

    全交舎ぜんこうしゃ

    • 101
    • 100

    既雨既處尚徳積載きうきしょしょうとくせきさい

    『周易』小畜の卦に「既に雨ふり既に処る。徳を尚びて載つ」(既雨既處、尚載)とある。すでに雨が降り陰陽の気が安らかな状態にあることを表す象で、陰の徳が積み重ねられ満つることを説く。

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    • 102

    古之遺狂いにしえのいきょう

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    • 104

    我思古人われこじんをおもう

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    • 106

    君子萬年君子萬年

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    • 108

    漢委奴國王かんのわのなのこくおう

    • 110