屏風 第一面
 
 
 寛政年間に焼失する前の懐徳堂の図。標題は「大坂尼崎町一丁目学校類焼前之図」、上部欄外に「尼崎町一丁目学校表口十一間四尺五寸裏行二十間」と注記がある。抄写者は「桑名克一」。
  この図が抄写された時期は未詳であるが、手がかりとなるのは「道明寺屋醤油倉」の有無である。もともと懐徳堂の敷地北側には、「道明寺屋醤油倉」があった。これは、懐徳堂の敷地を提供したのが五同志の一人道明寺屋であったことによる。ところが、この図には、その「醤油倉」のあった位置に「土蔵」「納屋」が設けられていることが分かる。従って、この図は、初期の懐徳堂が一部改築された時の図面で、表題にある通り、寛政四年(1792)に焼失する直前の図であったと推測される。
 なお、この図は一階部分のみを記しているが、二階部分の図は屏風第二面下部右側に貼り付けられている。
 
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